もう二度と会わないだろうあの人に「ごはんを作ってあげるよ」と言う
好きだった人が彼女と別れたらしい。ここまで二年。
別れたと人伝てに聞いて、急に胸の中にわだかまっていたものが溶けてなくなった。とても気持ちが軽い。
実は彼女もとい元カノも知っている人で、その性根の悪さを知っていた。
詳しく書くのはめんどくさいので省くが、しばらくしてから電話で話す機会があった。
好きで好きでしょうがなかったときにはちっとも話せなかったのに、今はいろんなことを不思議と話せた。こんな風に夜眠る前にリラックスして話せる関係になりたかったんだと思った。
本当のところ、「もうどうでもいい」が半分。「まだ好きかも」が半分。
少し前に、別れたと教えてくれた人に「(その好きだった人を)まだ好き?」と聞かれた。そのときは「好きでいたらいけないと言われたから、がんばって好きじゃなくしたんだよ」と答えた。「だから、もう好きじゃないよ」と。
そのあとひとりでよく考えた。胸の中にある素直な気持ちをよく探した。
出た答えは「まだ好きかを問われたらもう好きじゃない。けれど、また好きになるかと問われたら好きになると思う」だ。
また好きになると思う。そう思ってひたすらに胸が痛む。だって絶対またつらい思いをするから。
好きだった人は本当に悪い人だ。ずるくて、自己保身ばかり考えていて、思い遣りというものを持ち合わせていない。
電話で話している間も、いかに自分が元カノを好きだったかということを語っていた。わたしが彼を好きだったことなんてなかったかのように、というかなかったことになっていた。
この二年、わたしは本当にしんどかった。好きだった人が出てくる悪夢を何度も見た。うなされて歯を食いしばって寝て顎が痛かった。寝ながら握りしめていた拳が痛くてたまらなかった。
好きだった人の二年間にはわたしは微塵も存在していなかったんだと思った。
つらくて死にたいと思っていた。死んだらその人の人生の傷になるかなと考えたりもした。好きだった人のこの先の未来を知りたくないと思っていたから。
もしもあのとき死んでいても、好きだった人はたぶんなにも感じなかったと思う。わたしはその人を好きすぎて死んだのではなく、勝手になぜか死んだと思われたんだろう。
そう思うくらい、好きだった人の二年間にわたしは存在していなかった。
その事実に打ちのめされた。
話しているうちに「まだ好きだな」と思う気持ちと「最低なクズだな」と思う気持ちが同量で湧いた。隙あらばまた付き合いたいと思いもすれば、こんな人間野垂れ死ねばいいのにとも思った。
でもとにかく元気なようだった。
タイトルの通り、「ごはんくらいならいつでも作ってあげるよ」と言いながら、この人に実際会うことはもうないのかもしれないと感じた。
ていうか前述の通り元カノを知っているので、「あの子のお古(失礼)は嫌だ」という気持ちが強い。
性格が悪いと言われてもいい。あの人たちが別れて清々した!というのが久しぶりの更新の内容である。
もう、めでたしめでたし、させてくれ。